宙に浮く雑記

日々感じたことをつらつらと記します

大学院へ進学するかどうか

 こんにちは。白虎太朗です。早くも週一の投稿をサボってしまいました。ただ、誰も見ていないことはアクセス解析で把握済みですので、今回はノーカンとしましょう…。

 さて以前の記事で述べましたが、私は現在理系の大学院生で修士課程の二年生です。もう就職先も決まり、あとは修論のための研究を進めるのみとなりました。平日はもちろん、時たま休日にも研究室に行き、パソコンの前でああでもないこうでもないと頭を悩ます日々を送っています。この時期にしては全然進んでおりませんが…。

 ということで、今回は「大学院に進学すべきか」というテーマで色々記したいと思います。この記事が大学院に進学しようか悩んでいる人の助けになると嬉しいです。

 

 結論から申し上げます。「多少何かを犠牲にしつつも研究を行いたい」という人や「学部生時代を怠慢に過ごしていたせいで行きたい会社に就職できなさそうなので、大学院で諸々取り戻してから就活したい」という人は進学すべきだと考えます。前者は大学院進学の理由として真っ当なものです。後者は少々都合の良いように聞こえますが、理由のひとつとしてはアリだと思います。私は主に後者の理由で進学しました。専攻の知識に関して独学をほとんどやらなかったので、学部生時代で学んだ程度の知識だけで社会に出て良いのか、目指しているような職種に就くにはもっと知識が必要なのではないか…と思ったのです。

 

 …『主に』この理由でした。『主に』。

 たしかに一番の理由は、このままでは行きたいような会社や業界に就職できなさそうだから、というものでした。しかし、他の理由は学業や研究、就職にはほとんど関係の無いものばかりだったのです。「まだ学生気分を味わいたい」「部活で仲の良い後輩と同じタイミングで卒業したい」「趣味の楽器演奏を属している団体でまだ続けたい」…などなど。今考えたら甘ったれた理由ばかりですね。もちろんこれは入試の面接では話しませんでしたが、このような理由があって大学院に進学したのです。

 現実蓋を開けてみれば、学部生時代のものとは比べ物にならないくらい大変な講義の課題を研究をやりつつこなしたり、院生になってから始めた研究テーマが脱線に脱線を重ねたせいで本当にやりたいものだったか疑問に思ってしまったり、よくわかんないけどとりあえず研究室に行って研究…?をしたりと、なんか思い描いていたものとは違うな、面倒だな、嫌だなとなったのです。

 また、大学院に進んだことで(加えて新型コロナウイルスの影響もあって)、新たな人との出会いが格段に減ったり、学部生で卒業して就職した友人たちと気軽に会うことができなかったりしました。会う人間はいつも研究室の人たちや同じコースの知人だけになり、同族嫌悪の節がある私は同じ分野を専攻する人々(の性格)があまり好きになれないのでますます面白くなかったのです(同族嫌悪に関しては直さねばならないと思っております)。学部生時代は部活動に所属していたので多種多様な人々と活動することができ楽しかったのですが、引退したためそのようなことももうありません。このように、私は環境が変化することや様々な人と出会い会話をすることが好きなのです。ですので一向に変化の無い大学院生活はとても辛いものでした。

 ただ、進学して後悔しかしなかった、なんてことはありませんでした。第一の理由である、行きたい業界に就職することは達成できました。大学院生活の中で学びが活きたことや就活のために用いるTOEICの勉強を頑張れたためです。他にも、学びたかったものを大学院の講義や研究の過程で学ぶことができましたし、話す力も以前より身につけることができました。

 このように、大学院に進学して良かったこともあれば、悪かったこともあります。何事も何かを犠牲にした上で何かを得るものです。

 

 さて、改めて私の考えをまとめようと思います。大学院に進むべき人というのは、人との関わりを多少犠牲にした上でも研究をしたい、勉学に励みたいような人だと思います。そもそも人と関わることに興味がなく、ただただ研究だけを行っていきたいような人は別に良いのですが、私のように環境の変化を好む人にとっては辛い生活が続くと思います。しかし、研究の過程であったり、研究の他にも様々なことを同時並行で行えたりするような人はもしかしたら新たな人と知り合えるかもしれません。努力次第でどうにかなるとは思います。

 逆にまともな理由が無いなら、大学院なんて行かずさっさと就職すべきだと思います。時たま、「この歳でまだ学生をしているのが恥ずかしい」「早くから社会人となって自身で生計を立てている人が羨ましい」と私は思います。そう、社会に出ている人間は偉いのです。院生に人権が無いなんてことはありませんけどね。社会を知り、自分でお金を稼ぎ、社交的付き合いを学び、休日は思いっきり自分のやりたいことに費やす。そんなメリハリのある良い生活を早くから送る方が人間的に良いです。

 再度になりますが、しっかりした理由があるなら当然進学すべきです。しかし、人前ではっきり言えないような理由なら進学せずに就職したほうが幸せです。今の時代転職も当たり前になっているみたいなので、その機会に自分の目指す会社に入れるよう努力すれば良いのではないでしょうか。

 

 最後にお節介ではありますが、学部生(四年生以外)で進学するか就職するか悩む人にアドバイスです。四年生は自身の進路をもう決断しているでしょうから、その進路実現に向けて頑張ってください。

 是非今のうちにできる努力をたくさんして、何か自信を持って話せるエピソードをひとつでも作ってください。できれば自身の専攻についてや勉学に関するものの方が良いですが、部活動やサークル、アルバイト等でのエピソードでも無いより断然良いと思います。これは進学、就職どちらに転がっても良いようにするためです。もし専攻について学んでいくうちに興味が湧けば大学院に進学すれば良いでしょうし、就活の際でも面接で話せば面接官に興味を持ってもらえます。とにかくどちらに転がったとしても、後々切羽詰まらなくても良くなります。ちなみに私は就活の面接の際、(恐らく)いちばん興味を惹かれた内容としてTOEICの勉強を約一か月頑張ったことが挙げられます。点数を150点ほど上げることができたのですが、面接官からだいぶ驚かれたのを覚えております。このように、努力した跡があれば就活の強い味方になります。もちろん院への進学の面接でもこのようなことは言えるかもしれませんね。

 寝坊して一限を逃したり、帰ってボーッとスマホをいじっている場合ではありません。時間は刻一刻と過ぎていきますので、何かできることをひとつでも行い、将来に活かしていきましょう。

 

 長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。記し足りないこともありますがここまでにしておきます。また、稚拙な文章故に理解不能な箇所があれば申し訳ございません。

 是非皆さんの考える大学院進学の基準や考え、それに付随するエピソード等をコメントにて教えてください。そして良かったら前回の記事等もご覧ください。それではまた。

byakko-jaqline.hatenablog.jp


男子校や女子校は必要なのか

 こんにちは。白虎太朗です。今日は男子校や女子校といった「片方の性別のみが在籍する学校」について、自身の経験や考えを書こうと思います。ただし、あくまでも私自身の意見でありますので、「こういった考え方もあるのではないか」等の意見もあって当然だと思います。その際は是非コメントしていただければ幸いです。何しろ私はよく固定観念に囚われてしまいがちなのですから。

 

 私は高校時代を中高一貫校の男子校で過ごしました(中学は別な共学のところで、高校からの外部進学者でした)。そこは管内では進学校でありつつも、文武両道を掲げていた学校でした。そこで私は暗黒の時代を送ったのでした。楽しかった出来事が一度もなかった、という訳ではありませんが、辛かったり苦しかったりといった記憶の方が明らかに多かったです。そして人間らしさ、人情といったものを大きく失いました。加えて大学受験も現役では合格しましたが、希望していた大学には入ることができませんでした。もちろん自分の怠慢、勉強不足が一番の要因ではありますが、高校での様々な苦しい出来事も影響したのかなと考えております。

 さて、ここまで自分の過去を書いてきましたが、本題に入りましょう。

 結論から申し上げますと、現在ある校数ほどはいらないのでは無いかと思います。各都道府県に1校ずつ、人口密度の高い地域に2校ずつあるくらいで十分だと思います。たしかに歴史を辿ってみると男女別学校という存在は必要だったと思いますが、もう2021年です。教育を受ける開始時期は男女問わず一緒です。であればわざわざ分ける必要は無いと思います。

 ただし、完全に無くすことはしなくて良いと思います。片方の性別しかいないことで、人によっては異性の目を気にしなくて良いため、気を楽にして学生生活を送ることをできます。また教職員からしてみたら、片方の性別しかいないことで学校運営等で色々と楽になることが多いのかもしれません。さらには恋愛が校内で発生しにくい環境であることから、勉学に集中できたりするため、勉強のできるエリートを生み出す環境としては良いのかもしれません。実際偏差値上位の高校は男子校が多かったりしますもんね。

 しかし改めて考えてみると、片方の性別しかいない状況って良くないのではと感じます。ましてや大人になる前の成長期に、敢えてそういった環境下で生活をさせるのは酷なことだと思います。私もその犠牲者となってしまいました。学校は勉強するためだけの場所ではありません。家族以外の人間と過ごすための集団生活の術を学ぶ場所でもあると感じます。そのため片方の性別しかいない状況下で果たしてそれを学べるのかという疑問が出てきます。男女が平等に社会進出するというものも進んでおり、片方の性別しかいない状況も段々と減りつつあるように感じられます。そのため異性とのコミュニケーションができなかったりすると、後々致命的なことになると思います。私も大学在学中に何とか治してきましたが、まだまだ不完全なものであります。加えて、異性の目が無いために、若干のデリカシーから外れたことなら何をしてもいいという風潮が共学に比べて多くあるような気がします。そこから社会に出た際に物事の判別が付かない人間が少なからず現れるような気がします。

 さてさて、私怨が大きく現れてしまいました。皆が皆、男子校女子校出身だからといって人と会話できないことはありませんし、真っ当な人間として生きている方も多くいると思います。ただし、男子校女子校に属することで発生する悪影響の大きなものがこれなのではないかと思います。何せ自分自身が経験したのですから。

 

 人生は一度しか無いので、学校選びというものが案外今後の人生に大きく関わります。そのため、そこが本当に自分の行きたい学校なのか徹底的に調べたり、周囲に相談したりして、最終的に「自分自身で」決断すべきです。自分の人生を決めるのはあなたなので。

 

 ごちゃごちゃしましたが、要は私は男子校を選んで大失敗したな、失ったものは大きかったな、という話でした。ただ、その結果今居る大学に入学して様々な経験をし、徐々に人間性を取り戻し、結果としてこの大学に入ってよかったなと実感しましたが、その話はまた今度…。

 皆さんの男子校女子校エピソードや共学の人から見た男子校女子校出身者の特徴など、今回の話にまつわるものも知りたいなと思うので、もしよかったらコメントしてください。

 

 よろしければ前の雑記もご覧ください。それではまた。 

 

ジブリ作品って、やっぱりいいよね

 こんばんは。白 虎太朗です。

 今晩も金曜ロードショージブリ作品が放送されていましたね。そこでふとジブリ作品について思ったことを残しておこうと思います。

 

 まず、どの作品にも言えることですが、「誠実である」ということ。出てくる登場人物の大体が綺麗な存在です。ちょっと悪役っぽそうな人でも実は隠れた真心を持っていたりと、憎めないなといつも思います。私はこの誠実さにいつも心を惹かれています。社会は汚れきっており、真に誠実な存在がいないように感じてしまいいつも嫌だなあと思うことがあります。それとは反対に、ジブリ作品の中の人々は自信を持ち、能動的に、そして果敢に、色々なことに取り組んだりします。その描写を観ていると、よく「自分も頑張らないとな」という気持ちにさせられます。彼ら、彼女らは私の目標であり、私の理想像です。そうしてまた生きることを頑張れるのです。(もしかしたら、社会が綺麗でないという相乗効果もあることから、ジブリをはじめとした映画が素晴らしく見えている、ということもあるのでしょう。)

 

 そして、音楽が素敵だなと思います。私の好きな音楽家の一人に、久石譲さんがいるほどです。複雑な曲構成でありつつも、場面場面にあった曲が流れ、気づいたら自分の脳裏に焼き付いております。私は様々なサウンドトラックを聴くのが好きですが、やはりジブリ作品で流れる音楽は格別だなといつも感じます。どのように育ったらああいった曲を描けるんでしょうか、不思議でたまりません。

 

 ここで少しジブリの話から外れますが、常日頃思っていたことを記します。

 それは、「人って他の人によって心を動かされるんだから、容易い存在だな」ということです。映画はもちろんのこと、小説やドラマ、アニメなど…様々なものによって人は簡単に感動したり、恐怖したりします。あとは他人そのものの言動や感情によっても、自身の感情を揺さぶられます。不思議ですよね。他人とはいえ同じ人間という存在であるのに(あるからこそ?)。

 ただし、「相手を意図した感情に運ばせるのは困難である」とも思います。すぐに相手を感動させろと言われてもなかなか難しいものです。だから、作品を創り上げて人々を感動させる人は相当努力されている方なのかなと思います。

 

 ありきたりなことばかりを乱雑にまとめ上げ、薄っぺらい内容になってしまいましたが、要は私は映画が好きで、特にジブリ作品が好きだということです。死ぬまでにジブリ作品とディズニー作品は全て観ようと思います。そして、もし生まれ変わったら、もしくは、生きている間に何かの機会があれば、私はこういった映画の制作に携わりたいなと思います。

 あなたのオススメの映画、是非教えてください。私のジブリ作品のオススメは、来週放送される「風立ちぬ」です。早くも次の金曜ロードショーが待ち遠しいです。

 また、「あなたの映画論」みたいなコメントもお待ちしております。

 

 前回の記事もよろしければどうぞ。それでは、また。
 

 

はじめまして / 人生の目標とは

  

はじめまして

 筆者の白 虎太朗(ハク コタロウ)と申します。私は情報工学を専攻としている、理系大学院生です。

こちらは「宙(そら)に浮く雑記」となります。突然ですが、このブログの開設理由は以下の2点です。

 

 1. 筆者の文章構成力や推敲技術、語彙力が恐ろしく皆無であり、それらをより良くするため。

 2. 日々思ったことや自身の経験、さらには自分の中に生まれた疑問や悩みなどを纏めあげたいと思い、それに丁度良いものは何かと考えた際ブログが良いのではと思ったため。

 

 また、毎週金曜日もしくは土曜日に雑記を投稿します。多すぎず少なすぎず、程々の頻度で投稿して、雑記を習慣化させていきます。そして、先に挙げたように文を書くための技術は微塵も持ち合わせていないため、多少読みにくくなることが予想されます。そこはご了承ください。加えて、「雑記」であるため内容は様々です。自分の趣味の話をしたかと思えば、急に哲学チックなことを長々と述べているかもしれません。また、他人の受け売りを多く語ることもあると思います。

 

 いないとは思いますが、この雑記が誰かのヒントになれば幸いです。逆に、皆さまのコメントが私へのヒントになりうるかもしれませんので、良識の範囲内でコメントいただけたら嬉しい限りです。

 このあとに続く内容が、記念すべき最初の雑記です。それではどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 人生の目標とは

 十人十色とはよく言ったもので、人間様々な成長過程やら職やら趣味趣向やらを持っています。そのため個人個人が思う「我が人生の最終目標」というものは異なると考えます。1000万円貯金することが目標になる人もいれば、80歳まで生きることが目標になる人も存在します。

 私はまさに今、その目標をどのようなものに設定すべきかで悩んでおります。自身の好きなことをめいいっぱいやって生涯を終えるべきか、はたまた結婚を見据えたお付き合いができるような相手を探しその人と一生を過ごすか、世のため人のためになる活動をして後世を幸せにすべきか…。

 全て実現できればもちろん良いのですが、残された時間は当然限られているので厳しいと思います(思い込んでいるだけで実は可能なのかも知れない)。

 私は以前まで、「人類の目標」そのものが「人生の目標」なのではないかと考えていました。ここで私が考える人類の目標は、技術や知識、発明や文化的価値、あるいは子孫を生み出し残す、すなわち「何でもいいから残して次の世代へ受け渡す」ということです。ただ困ったことに、私には能がありませんから、どれも不可能なのでは…?となってしまい不安に明け暮れる日々を過ごしています。

 しかし、最近そんなことはないのではないかと思い始めました。人間ってそんな大層な生きものなのでしょうか。偶然知能に長けただけの地球上の生物にすぎないのかな、と。ごく一部の天才たちをよく目にするせいで人類は偉大だと勘違いしていまっているのではないか、と。

 だから、大きな目標を設定すること自体が間違いなのではないかと思い始めました。 達成することが困難になりすぎない程度の小さな目標をいくつも乗り越えて、楽しい人生を送るべきであると考えました。

 あまり難しく考えずに、小さなハードルをたくさん越えようと思います。